明日は来るのか?

日々の悩みやひとりごと

引っかかる「糸」の歌詞

多くの人が中島みゆきの「糸」を名曲だと言います。
 
それを否定はしませんが、どうしてもスルーできない、けれども多くの人が激賞する歌詞があります。
 
中島みゆきは優しく歌います。
 
逢うべき糸に出会えることを人は「仕合わせ」と呼ぶと。
 
糸とは、つまり人生の中で巡り逢う誰かのことですよね。
 
もちろん、それが恋愛相手や結婚相手だけを指すのではないこともわかっています。
 
でも、そういう人に私は出逢っていないのです。
 
そして多分これからも。
 
え。じゃあ私は「仕合わせ」じゃない?
 
つまり不幸だと?
 
たしかに、今の私は1ミリも幸せじゃありません。


 去年、人生最大のピンチだったときも、助けを求めてさえ親身になってくれる人はいませんでしたし。
 
去年の父の死にまつわるあれこれも、それ以前に何度も両親が入院や手術をしたときも、こんなときパートナーがいてくれたらなあと思いましたし、もしもそういう人がいたら、ここまで心細くなかっただろうと思いました。
 
そういう相手を探せなかった自分が悪いのだと言われれば、否定はできませんが。
 
まあ、恋愛経験はお粗末なものですが、お見合いなどは若い頃に何度かしています。
 
ただ、いい人に巡り逢えなかっただけで。


自分にはお見合いは向いていないと思い、出会いもないので結婚は諦めていましたが、数年前に、当時ネットで仲良くしていたずいぶん年下の女の子に、けっこう上からな感じで「お見合いパーティーにでも行ってみたら?」と言われたんです。
 
その子は、出会った当時は地方で引きこもり生活をしていたんですが、交流が途絶えた後、数年経ってから連絡したら、なんと東京で恋人と同棲していたんですよ。
 
女性にはありがちですが、恋愛関係でうまくいっていると、急に偉そうになる人っているんですよねw
 
それで、ちょっとカチンと来て、お見合いパーティーは嫌だけど、マッチングアプリくらいならやってみてもいいかなと思い、登録したんです。


けっこうメッセージが来たり、個人的にやりとりしたり、「会いませんか」と言われたことも何度かありました。

ただ、その後すぐにコロナ禍になり、会いに行って、もしもコロナに感染して高齢の両親にうつしたら取り返しがつかないと思い、会わないのにメッセージのやりとりだけするのも相手に失礼なので、結局一度も誰とも会わずに退会したんです。
 
その後、その女の子とも疎遠になり、年齢的にも結婚相手を探す気はなくなって現在に至ります。
 
今までずっと孤独だったように、これからもずっと孤独な人生が続くことでしょう。
 
私って、つまり一生不幸なんですね、みゆきさん。