明日は来るのか?

日々の悩みやひとりごと

それは7年前に始まった

さかのぼること7年前、母に一度目の癌が見つかったときのことですが、母は私に、兄に知らせなくていいと言ったんです。

それが、とても不満でした。

当時はまだ、父も元気でしたが、頼りにならないし、いろいろやらかすし、いくら兄が他県に住んでいるからと言って、なんでこんな大変なことを私一人で引き受けなければならないのかと。

それで、私の独断で兄に知らせました。

でも、電話するのは気が重いし、兄とはお盆と正月に顔を合わせる以外、交流もなく、LINEも知りません。

兄がFacebookをやっていることは知っていたので、わざわざそのためだけに私も登録し、彼をフォローして、フォロバされて、ようやく使えるようになったMessengerで連絡するという、とても回りくどい方法を取りました。

そこまでして知らせても、一度一人でお見舞いに来ただけでしたけど。

その二年後に、母が二度目の癌の手術をするときは、少し前から父の心臓も悪くなっていて、なんと母が入院する前日の夜に、救急車で運ばれて、別の病院に入院してしまったんです。

そのときは、兄は2回くらいは来ましたかね。

そういうとき、兄嫁は一切関わらないんですけど。

当時は家に大型犬と猫と鳥を飼っていて、その子たちの世話をしながら、二つの病院に通うのはとても大変でしたし、長い手術の間、一人でロビーで待つ心細さと言ったら…

そもそも兄は、兄嫁の両親が提供してくれた一軒家があったにも関わらず、縁もゆかりもない他県に、うちの両親に頭金を出させて家を建てたんです。

兄は「将来一緒に住むから」お金を出してほしいと言い、当時はうちも経済的に余裕があったので、両親も、持ち家があるのに、わざわざ他県の息子夫婦と同居するなんてありえないと承知の上でお金を出したんだと思います。

そういう前提がありつつ、次回、さらにディープな話へと続きます。