葬儀を出したら終わりではなく、つぎつぎに儀式があるじゃないですか。
さらに仏壇がどうとかお墓がどうとか…
そのたびにたくさんのお金がかかるわけで、正直そんな余裕はないんです。
先日、「博士ちゃん」で「四十九日の法要の意味」というのをやっていたので、ちょうどいいと思って見てみました。
百福くんという博士ちゃんによれば、四十九日は、ちょうど故人が天国に行くか地獄に行くかを決めるときなんだそうです。
法要は、天国に行けるようにこの世から後押しをするような意味合いがあるらしいです。
さらに、地獄とはどんなものかということも教えてくれたんですが、いくつもある地獄の中には、不倫など、恋愛関係でやらかした人が行く地獄、お酒でやらかした人が行く地獄、嘘をついた人が行く地獄などがあるそうです。
うちの父、やっちゃってますよ。
いくつもやらかしている人はどの地獄に行くんでしょうね。
個人的に、とても気になります。
というわけで、多分父は地獄行き決定だと思うんです。
法要をしても、多分無駄だと思うんです。
というか、本音を言うと、お経なんて上げてもらっても意味はないと思っています。
具体的な理由を言うと、先日も書いた通り、お経は本来、葬儀のときと、火葬場でお骨になったときの二度上げてもらうものだそうです。
ですが、お坊さんの都合で火葬場バージョンは省略されました。
もちろん、よそのご家族は上げてもらっていましたけど。
つまり、お坊さんの都合で省略してもいいものは、最初からなくていいんじゃないかと。
そもそも、故人の法要のために遺族が大変な思いをして大金を払わなくちゃいけなくて、そのために不幸になるというのは宗教としておかしくないですか?